BIOGRAPHY
Robert Nighthawk
あまりにも有名な Sweet Black Angelは、Robert Nighthawkが Lucile Boganのヒットを、Tampa Red経由でモノにした作品と言えるでしょう。
その Tampa Redに由来するとも言われる独特なスライドは、優雅さをたたえて、静かに流れつつも、ややウェットな情念を滲み出させていますが、けっして押しつけがましくはないし、彼ならでは、の距離感みたいなものが快いのでございます。
そして、誰かのため、というより、自分のために歌っているかのような収斂するヴォーカル。たしかにモダーン・ブルースの持つ洗練された浸透力みたいなものには欠けていますが、逆に、「それ故に」醸し出される「緩やかな情感」がリアル・サイズの人間像を浮かび上がらせてくれるような気がします。
Robert Lee McCollumは、1909年の11月30日、 Arkansas州の Helenaで、父 Nedと母 Mattieの間に生まれました。
他に兄の Samuelと姉あるいは妹(いつも言ってますが、それが本人よりも年上か年下か、欧米の研究者たちは「興味が無い」んでしょうか?)の Ethelもいたようです。
1964年のインタビューで彼は、Mother and dad and sister and brotherの全員(すべて単数であることに注意)が音楽を演奏した、と言っています。特にギターを弾いていた兄は、すべての面で面倒を見てくれた、と。
ただ、よくある(?)ケースですが、彼は当初ハープを演奏していたようです。
それについては、およそ 1923年ころ、ハープ奏者の Johnny Jones( Louisiana出身だそうで、そこら Mississippi州 Jacksonの出身と言われる「ピアニストの」Johnny Jonesとは同姓同名ながら別人?)から教わった、と Robert Nighthawk自身は語っています( Alt. Eddie Jones)。
1928年には Mary Griffenと Friars Pointで「最初の」結婚。
そこで生まれた二人の子供の上の方 Sam(下の子は Ludie ─ ただし Ludyとする記述もあります)は後にドラマー Sam Carrとして有名になるのでございますよ。
その Sam Carrはインタビューで、まだ 1才半の彼をおいて両親がいなくなり、それで Carr家で育てられた、と言っています。母は Nighthawkに夢中になり追いかけて行ったのだ、と。
したがって彼が父と会ったのは 7才になった 1933年のことだったそうで、真っ赤な T型フォードに Henry Townsendと一緒に乗って来た Nighthawkは「信じるかどうかはお前の勝手だが、俺がお前の父ちゃんだ。お前がもう少し大きくなったら俺のところに来い。俺は KFFAで演奏してるからそこに連れて行く」と言い残して、次は 1937年までは再会することがなかった・・・
さて、ここでひとつ疑問を。
この時代、もはや T型フォードなんぞ乗っておったら「後ろ指さされる」のは確実で、後ほどまた出てきますが、これは A型フォードのマチガイでしょう。
フル・メタル・ボディで、その塗装も「真っ赤な」なんて形容は A型にはあてはまりますが、T型で「真っ赤」は無いでしょ。
しかし、この「 7才で初めて会った」というエピソードには異説もあり、それによるとまだ 4、5才のころに Nighthawkのギグにしょっちゅう連れていかれていたそうで、ステージの前あたりでずっと踊ってたとか。
7才で初めて、ってのとは矛盾してますが、もしかすると母、あるいは Carr家の親がわりの誰かが Sam Carrを父の演奏しているところへ連れて行っていたのが 4、5才のころで、それを初めて Nighthawkから息子として「話しかけられた」のが 7才のとき、と解釈することも出来るかもしれません。
そして’40年代に入ると、父のバンドで時に運転手として、時にはベーシストとして働いていたようです。
その Mary Griffenとの結婚と同時期かもしれませんが、Robert Nighthawkは、Houston Stackhouseからギターを習ったようですが、 Houston Stackhouseによれば、ふたりは「いとこ(江戸川スリムさまの指摘によれば、ブルースマンの言う「いとこ」は日本では「血縁がある」程度の関係を指す場合が多い、とのことでしたので要注意です。ただ、ここでは Houston Stackhouse自身が "...we're first cousins. Me and Robert were two sisters children."と証言していますので、ホントにいとこだったようですが。ただしナゼか Greg Johnsonはこのふたりを Distant Cousin、としています)」の間柄だとか。当時 Nighthawkは Torey Woodという農園主のもとで働いていたそうで日に 1ドルを貰っていた・・・
昼は一緒に Murphy's Bayouの農場で働き、夜はパーテイなどで演奏をしつつギターを習ってたんでしょか? Nighthawkはインタビューで 1931年にギターを始めた、と語っています。また Nighthawkの兄弟の Percyも一緒に演奏していた、とする資料がありますが、兄は Samuelのハズですから、その後、弟も生まれているのでしょうか?( Nighthawkの息子、Sam Carrと娘の Geni Wardの二人は、いずれも Percyというのは「兄弟」ではなく「友人」だ、と証言しているようです)
Houston Stackhouse側の証言では、まず Nighthawkに教えたのが、彼自身最初に学んだ Tommy Johnsonのナンバーだったそうで、最初に会ったころの Nighthawkはまだハープ奏者であり、Willie Warrenとふたりで Hollandaleの Black Cat Drug Storeで週末ごとに演奏していた、と(ただし Nighthawkは最初に教わったのは St. Louis Bluesだった、としています)。
1931年には Nighthawkと Stackhouseはカントリーの方のジミー・ロジャース( Jimmie Rodgers)が Jacksonにひとりで来たときに乞われて一緒に King Edward Hotelでのショーで共演(!)したのだそうです。
そのふたりが行動を別にしたのが1932年で、Nighthawkは Chicagoに。
どうやらこの単独行動の裏には、マディ( Nighthawkは彼の「最初の」結婚式で乞われて演奏したそうです。この時のパーテイではあまりに騒ぎ過ぎて床が抜けたんだとか)を頼ってレコードを出そう、てな野望があったようなのですが・・・
1933年には East St.Louisで出会った Dan Hildrege Showというメディシン・ショーなどで歌とダンスを披露していたらしい("Little Laura"あるいは "Little Bit"という芸名の)Laura Dukesという女性シンガーと組んでいます。
その Lauraが語るところでは、Nighthawkは彼女にバンジョー・ウクレレ(おそらく小型のバンジョーで「全長」が 60cmくらいのもの。弦はおそらくスティールでは無い?)を教えてくれたそうです。4弦のほーがラクだろう、って。
そしてふたりはコンビでツアー(というと聞こえはいいけど、ようするに「門付け」的な放浪生活とも言えるかもしれません。乞われるままに演奏し、そこでもらうチップで食費を賄い、宿を得る生活)を続けたようです。
この時期は主に Memphisにいたらしく、そこで John Estesや Yank Rachell、 Memphis Slim、 Big Bill Broonzy、 Sonny Boy Williamson、そして Big Joe Williamsやジョン・リーとも出会っているようですね。
St. Louisの Jefferson Avenueにあった Ernest Walkerの店(そこで Robert Johnsonにも会っている、と言われています)にたむろしていたようでそこが情報交換や交流の場だったのでしょう。
Estesの回想では、当時 Nighthawkはジャグバンドのフロントをとっていた(これは「あの」1927年から 1934年にかけておよそ 100曲ほどの録音を残した Will Shadeの the Memphis Jug Bandのことではなく、おそらく Memphisのジャグ・バンド、くらいの意味でしょうか?Nighthawkはインタビューで、そのメンバーを、ジャグの Ham某と James Wright、そして Milton某、と語っています)らしいのですが、そのバンドの音は残っていません。
また Johnny Youngは 1930年代初頭に、Vicksburgで Nighthawkと出会ったと証言しています。
ところが、彼はなにやら事件を起こしたらしく St. Louisに逃げ出すハメになってしまいます。名前も母方の苗字をいただいて Robert Lee McCoyと変えて。
戦前の録音がその名義で行われているのはこのせいなのでしょうね。
Louisianaでトラブル(発砲事件を起こしてたみたい!)に巻き込まれて、のことだったようですが、真相は不明です。
ただし、マディは当時の彼がすでに南部では「名のあるブルースマンだった」と回想していますから、本当に追われているのであれば名前を変えただけでは不充分なのではないか?という気もいたしますが・・・
1936年から1939年あたりは St. Louisを拠点にシカゴにまで出向いたりしてたようです。特に 1937年の彼の Bluebirdへの初吹き込みでは Sonny Boy Williamsonと Big Joe Williamsが参加し、それ以降も St. Louisにいたピアニスト Walter Davisをはじめとして録音のために一緒に Chicagoへ「出張る」というスタイルをメインとしていました。
それ以前の彼は Honey Boy Edwards、Willie "Big Eye" Smithなどの回想を総合すると、Friars' Point付近の John Mckeyのプランテーション、あるいは Wooton Epps農場(この二つのものが同じで、前者はその経営者を、後者は農園名を挙げているだけ、という可能性もあります。ただし Willie Smithの記憶ではそれを 1930年代晩期から 1940年にかけて、としてありますから違うものである可能性も否定は出来ませんが)で農業にも従事していたようです。
1937年から 1940年の St. Louis時代(?)には Bluebirdに 21曲、そして Deccaに 4曲の録音で Robert Lee McCoyや Rambling Bob、さらには Peetie's Boy( Peetie Wheatstrawのバック)などの名義を使っています。
また他のブルースマンのバックを務めたのはおよそ 80曲ほど。
この時期の St. Louisは後に Chicagoにその「栄誉」は移ってしまうものの、まさにブルース・タウンと言って良い盛況を呈していたようですね。
その彼がシカゴに移ったのは1940年ですが、その前に1937年の曲「Prowling Night Hawk」から取って名前を Robert Nighthawkに変えた、と(これについては、ふたたび Arkansasを訪れた彼は自分がミュージシャンとしては忘れられた存在であることに気付き、しかし Prowling Night Hawkはいまだに人々の記憶に残っていたようなので、それを名前にした、という話があります)。
1937年 5月 5日、Chicagoからほぼ真西に 40kmほどの Auroraにあった Bluebirdのスタジオに Henry Townsendの A型フォードに 7,8人がギュウギュウ詰めになって到着し、そこには Sonny Boy Williamson( Bluebirdってことでお判りでしょーが、これは Sonny Boy I世の方ね)と Big Joe Williams、そして Robert Nighthawkが揃い、あの名曲、Sonny Boy Iの Good Morning Little School Girl が吹込まれたのでした。さらに Blue Bird Blues や Sugar Mama も。
次にこんどは Big Joe Williamsの番で、そして次は Walter Davis。その各 8曲づつに Nighthawkはバッキングで参加し、いよいよ彼の番となって吹込まれたのが
Tough Luck / Lonesome World / G-Man / Don't Mistreat Your Woman / Prowling Night-Hawk / Sweet Pepper Mama ─ Robert Lee McCoy: The Bluebird Recordings 1937-1938 RCA 07863 66723-2に収録。
で、その中の Prowling Night-Hawkがヒットとなったのでした。
そしてこの年には 11月11日にも録音が行われています。
My Friend Has Forsaken Me / Mean Black Cat / Brickyard / Mamie Lee / Take It Easy Baby / I Have Spent My Bones(この曲だけ Sonny Boyが参加していません。また、正しくは Bonesではなく Bonusを Bluebirdが誤植したものらしい)/ CNA ─ Robert Lee McCoy: The Bluebird Recordings 1937-1938 RCA 07863 66723-2に収録。
翌1938年の 12月18日にはピアノに Speckled Redを迎え、She's Got What It Takesや Every Day And Night(元ネタは Tampa Redの Don't Dog Your Woman らしいのですが、それを指摘した Documentの CD、Robert Nighthawk: Prowling With the Nighthawkでライナーを執筆している J. Harrisによれば、この曲は彼が最初にヴォーカルをとった曲じゃないか、と言ってますが、え〜?それじゃ前年の Prowling Night-Hawkなどの録音の立場はどーなるの?)などを吹き込み。
Every Day and Night / Ol' Mose / You're All I've Got To Live For / She's Got What It Takes / Next Door Neighbor / Big Apple Blues* / Freight Train Blues* / Good Gamblin'*( * ─ Sonny Boyが参加) ─ Robert Lee McCoy: The Bluebird Recordings 1937-1938 RCA 07863 66723-2に収録。
Every Day and Nightは Sonnt Boyが 1941年に Million Years Blues として、また B.B. Kingは 1954年に When My Heart Beats Like A Hammer としてカヴァーし、これは R&Bチャート 8位まで上がったらしいのですが、B.B.にはほとんどキョーミの無いワタクシにはよく判りません。
1940年には Chicagoに移り、主に Curtis Jonesや Leroy Jacksonなどとウェストサイドや State Street周辺で演奏を行ったり、セッション・ワークをこなしていた他に自身のバンドもあったようですが、そこにはギターとして John Henry Barbeeを擁するほか、 George某というアコーディオン奏者(?)もいたらしく、スゥイング系のナンバーを演奏していました。
1940年 6月 5日の Deccaでのセッションでは Peetie's Boyを名乗っています。
ここでの 4曲のうち 2曲では 1933年からの Laura Dukesに変わる新しいガール・フレンド(?) Ann Sortierと一緒でした。
Laura Dukesが「ドサ回り」の相棒だったのに対し、この Ann Sortierはもっぱら Chicagoで一緒に演奏していたらしく、サウスサイドではみんなが知っていた仲だったようです。
Gonna Keep It for My Daddy: Ann Sortierがウォッシュボードで参加?
Never Leave Me: Ann Sortier-Vocal
Mama Don't Allow Me To Stay Out All Night Long
Friars Point Blues* ─ Robert Lee McCoy: Prowling Nighthawk Catfishに収録。
ただし Robert Nighthawkの初録音は 1937年 5月 5日ではなく、その前年、1936年10月23日に行われた Jack Newman(ヴォーカルとピアノ)のバックで 4曲を吹込んでいます。
また Big Joe Williamsによると Robert Nighthawkは South Wabash Street 3410番地に「自分の」レコード・ショップを持ち、Chicagoにいる間はそこにいたそうですが、多くの証言が「彼は一ヶ所に落ち着くことをせず、特に Chicagoには長居をしなかった」と指摘していますから、あまりそこにいた時間もさほど多くはなかったものと思われます。
ただ、1940年代の前半と言えば、モチロン第二次世界大戦が勃発しておるワケなのですが、どうも、それが彼の生活に及ぼした影響というのがあまりよく判らないんですね。
それには彼の年齢的なものもあるのでしょうか?
彼より 9才も年下で、まだバリバリの(?)20代だった Elmore Jamesは海軍に入り、グアム島まで行って来たんですが、この Nighthawkの周辺では参戦どころか、あまり戦争の影さえ語られておりません。
かって「大きくなったら俺のところに来い」と言っておいた息子の Sam Carrが Helenaの Franklin Street 308番地で一緒に住み始めたのが 1942年あたりと言われております。おそらくアメリカが太平洋地域でさあ反撃!ってあたりなんですが。
ただし、このころについて Houston Stackhouseの回想では多少の「違い」があって、それによれば Nighthawkは 1939年から Mississippi州 Clarksdaleの WROX、そして Tennesse州 Memphisの WDIAにも出演しており、あるいはその両方の中間地点( Clarksdaleまではほぼ 40km、そして Memphisまではおよそその 2倍ほど)ということで Arkansas州 Helenaだったのでしょうか?ま、次に出て来る KFFAの話がまた Houston Stackhouseの話とは整合しないので、はたして真実は?
マイク・ブルームフィールドが行ったインタビューによれば、一般に信じられているように、Tampa Redからそのスライドを受け継いだ、というのは「違う」んだそうです。
─ Tampa Redのスライド自体は好きだったけど、それをなぞったプレイはしていない、アイデアのレヴェルだ、と主張してます。
これについては Robert Nighthawkのスライドは Greenvilleのナイフ・スライド走者、Sonny Boy Nelsonこと Eugene Powellから学んだのだ、とする説もあります。
そして、ここでも Houston Stackhouseが登場しますが、彼によれば Nighthawkは「まったく」Tampa Redそっくりに弾くことが出来たし、ところどころにそれが出ていた。のだそうです。
1940( alt. 1942)年には Helenaの Floyd Truck Lines Buildingにあった KFFAの番組(「Bright Star Flour Hour」金曜夜)出演枠をゲットし、その放送では自分の名前を Robert Nighthawkとしてアナウンスしています。
息子の Sam Carrと一緒に暮らし始めたあたりは、かなり集客力もあったようで、そこら、さすがに番組を持った効果か、どこでも 2、300人がすぐ集まったらしく経済的にも安定したみたいですが、カネの分配の件で仲間と感情的な対立になったこともあったみたいですね。
やがて Earl Hookerや Ike Turnerなんかとの付き合いも始まっています。
その Ike Turnerのガール・フレンドだった Nanny Maeとは 1945年に知り合ったようですが、その 2年後の 1947年には「結婚(?)」しています。
それを機に彼女の名前を Ethel Maeに改めさせ、一緒にステージに立つようになりました。その Ethel Maeのヴォーカルが Aristocratに残っています。
1948年11月10日から吹き込んだ Aristocratの録音には有名な Sweet Black Angel(こちらは 1949年 9月12日のセッション)が含まれ、彼の名声は確立された、と言ってもいいんじゃないでしょうか。
Down the Line: vcl.に Ethel Mae -U7127
Handsome Lover: 同上 -U7128
My Sweet Lovin' Woman: Chess 1484( 1951年にリリース)-U7130
─この三曲*が 1948年11月10日、ピアノに Ernest Lane、ベース Willie Dixonで吹込んだもの( Nighthawk自身の回想ではドラムに Albert Lee Irvinが参加した、と発言していますが、その人物像も含めて未確認。またベースは Ransome Knowlingだった、としています)。
She Knows How to Love A Man* -U7194
Sweet Black Angel: Aristocrat 2301 -U7195
Annie Lee Blues: Aristocrat 2301 -U7196
Return Mail Blues*: Chess 1484 -U7197
Sugar Papa: vcl. Ethel Mae -U7198
* ─ Jeff Harrisは She Knows How to Love A Manと Return Mail Bluesを 1948年の録音としていますが、Charly Recordsからの CHESS CD RED 29、Robert Nighthawk / Forest City Joe: Black Angel Bluesには Aristocratのマスター・テープのシリアル・ナンバーが付されており、その連続性を勘案すれば Jeff Harrisの言う 1948年録音説は「間違っている」と思われます。「-U」で始まる 4桁のナンバーがそれ。
ただし、欠けている U7129が Return Mail Bluesだった、という可能性も「無いワケではない。」
続いては 1950年 1月 5日の録音で、ピアノが Ernest Laneから Pinetop Perkinsに代わっています(ただし、これも Nighthawk自身の回想ではピアノが Curtis Jonesで、ベースが Willie Dixonと)。
Good News: vcl. Ethel Mae -U7226
Six Three O: Aristocrat 413 -U7227
Prison Bound -U7228
Jackson Town Gal: Aristocrat 413 -U7229
この 1940年代の Chess録音の時期には Illinois州 Cairoを拠点にしていた、という記述にも遭遇しておりますが、彼の居住地については様々な情報が錯綜しており、ある意味「どれも本当(?)」なのかもしれません。
かなり移動(放浪?)の多い人生だったようですから、「ここ」というものが無いのかもしれません。
Robert Nighthawk自身はさほど Chicagoが好きではなかったようで、言わば Chicagoがそのブルースの黄金時代を迎えようとしている 1950年代には、あまり Chicagoにはおらず、遥かに南下した Floridaで三年間ほど鬱屈した日々を送り、その後も徐々に南部の Louisiana、Mississippiに Alabama、そして Georgiaの各州を巡り、さらに Texasから Arkansas、Kentuckyから Indiana、Missouri、Iowa、New Yorkなどの諸州を移動していたようですが、これを J. Harrisは「 Chicago嫌い」と表現していますが真相はどうだったのか・・・
ところで、「1947年には、Ethelこと Nanny Maeを Ike Turnerから奪って結婚した」というのにも「違う」記述がありまして、それでは結婚した相手の名前が(やはりIke Turnerのガール・フレンドだった ) Hazel Momonで、Clarksdaleの Riverside Hotelに一緒に投宿していても、 同時に実は Nighthawkのそれまでの「彼女」だった Ethel Mae「も」同じホテルにいた、とか・・・
ま、本筋にゃあカンケーないことなんでどっちゃでもいいようなもんですが、それにしても、まこと「お盛ん」なことで。
あ、ついでにさらに混乱するような情報ですが、その前年の 1946年にはドラマー(!)でもあった Beatrice、俗称 Early Beaと「結婚」しており、どうも Sam Carrの回想からすると、主に St. Louisでの(?)妻だったのでしょうか?
Jeff Harrisの記述も Nighthawkの婚姻関係に関しては混乱を極めており、次の段では、その Hazelをドラマーとしていたり、とワケ判らん状態ですが、それでも 1953年まで一緒だったらしい Hazelとの間には Geni、Robert、Marianneという三人の子供を設けていたらしく、Nighthawkと別れた後も娘の Geniと Chicagoで暮らしていたそうでございます。
それはともかく、Chessでのレコーディングの後、彼はこんどは 1952年まで Unitedの契約下にありました。
まずは 1951年 7月12日、ピアノに Roosevelt Sykes(あるいは Bob Call)、ベースに Ransom Knowling、ドラム Jump Jacksonで
Crying Won't Help Me: Document DOCD 32-206
Take It Easy Baby: Document DOCD 32-206
Nighthawk Boogie
Kansas City: Document DOCD 32-206
Feel So Bad: Document DOCD 32-206
を録音。
次に 1952年10月25日にはピアノ Curtis Jones、ベース Ransom Knowlingの他は氏名不詳のサイド・ギター&ドラムで
Seventy-Four-1
Seventy-Four-2
Maggie Campbell-1
Maggie Campbell-2: Document DOCD 32-206
The Moon Is Rising-1: Document DOCD 32-206
The Moon Is Rising-2(未完)
You Missed A Good Man
Bricks In My Pillow
Seventy-Four
U/S Boogie
が録音されました。
この United/Statesレーベル( U/S Boogieの「 U/S」ってこのレーベル名か?)での録音は、曲ごとに書いたとおり Document DOCD 32-206 Robert Nighthawk: Prowling with the Nighthawkに収録されているほか、全曲が Delmark 711 Bricks In My Pillowで聴くことが出来ます。
そしてこの United録音をまるでひとつの区切りにでもしたかのように Robert Nighthawkは Chicagoを後にして南下して、主に Arkansas州 Helena、その南南西 18kmほどの Mississippi州 Friars Point(ついでながら、さらに 20kmほど南南東に下がると Clarksdaleという位置関係)などを拠点として各地に演奏に行っていたようで、息子の Sam Carrはこの時期にミュージシャンとして生活できるようになった、としています。Frank Frostやギタリストの Jack Johnsonとともに the Nighthawksというバンドを結成していますが、別に Robert Nighthawkの専属バック・バンドというワケではなかったようで、ツアーで来るブルースマンのバッキングを務めていました。
一方、オヤジの方は Arkansa州 Pine Bluffで出会ったギタリスト CeDell Davisと、ふたたびスタジオでの録音に復帰する 1964年の直前まで一緒に活動をしています。
その CeDell Davisというのは特異なブルースマンで、ポリオのために麻痺した腕をカヴァーするために、本来は右利きであったのにギターを左右逆にして、右手に固定したナイフでスライド・プレイをしています( Fat Possumにもアルバムがありますが、おススメは Texas州 Dentonで 2002年春に録音された When Lightnin' Struck the Pine。これに収録された So Long, I Hate To See You Gone ─ Reconsider Babyという本来のタイトルで Fat Possumでも録音していますが、こっちのほうがいい! ─ などいい味を出しています)。
このユニークなブルースマンとは 1963年までの 10年間、行動を共にしていたようですが、1964年には Chicagoに再び現れています(と言っても、その間、まったく来ていなかったワケではなく、レコーディング・シーンとしての Chicago、という意味で)。
まずは 5月に Chicagoの University of Chicago、Mandel Hallでのライヴを録音しています。この録音はマーク・ナフタリンらによってなされたものらしいのですが、個人的に所有するにとどめる、という約束を破ってディロン某が Testamentに「勝手に」売却したもので、コイツは後でまた出てきます。
このときのライヴはハープに Little Walter、ギターに Johnny Young、という布陣でした。
Merry Christmas Baby: TCD 5010
That's All Right: TCD 6010
Everything Gonna Be Alright: TCD 6010
Anna Lee: TCD 6010
Sweet Little Woman: TCD 6011
末尾のシリアルはそれぞれ収録されたアルバムで
TCD 5010 Master of Modern Blues: Robert Nighthawk/Houston Stackhouse
TCD 6010 Down Home Slide
TCD 6011 Down Home Harp
を表します。
そして次は「ふたたび」Chessでレコーディング。
1964年 6月30日、バックにはハープの Walter Horton、ピアノの Lafayette Leak、ギターに Buddy Guy、ベース Jack Myers、ドラム Clifton Jamesで
Sorry My Angel: -13304
Someday: -13305
の 2曲をレコーディング。これはいずれも Charly/CHESS CD RED 29、Robert Nighthawk/Forest City Joe: Black Angel Bluesに収録されています。
一方では有名な Maxwell Streetにもよく姿を表していたようで、そこでは多くの次の世代のブルースマンたちに影響を与えていたのではないでしょうか。
Greg Johnsonはその影響を受けたブルースマンとして Big John Wrencher、Johnny Young、Carey Bellらの名前を挙げています。
この時期の彼の姿がドキュメント・フィルム And This Is Free に収録され、そこでは Down At Eli'sが演奏されているそうですが、未見のため詳しいことは不明。
まず、Rounderから、このときの演奏とされるアルバムが Live On Maxwell Street 1964としてリリースされましたが、これまた実は例のディロン某が個人的な「控え」的に渡されたテープを、そんな権利も資格も無いのに Rounderに売却したもので、マスターからのアナログ・コピーから起こしているため、音質も悪く、またそのクレジットなど、かなり誤記も多いものだったようですが、後に And This Is Free を作ったインディーズの映像作家 Mike Shea(日本では「マイク・シェイ」と発声されているようです)が撮影中の事故で急死した後、子息がその膨大なサウンド・トラック(フィルムのほうは逸失してしまいましたが、まったく独立して録音する方式だったために、オープン・リールで残っていた)を発見し、その「本当の」マスターからデジタル・リマスタリングされたクォリテイの高い音源が P-Vineから CD、And This Is Maxwell Streetとして発売され、さらにアメリカでも Rooster Recordsからリリースされていますが、その際におよそ 40分以上に及ぶブルームフィールドによるインタビューも収録されました。こちらは「ヤミ」で流されたよなディロン某の音源とは違い、はるかに音質もよく、また数々の研究者によってそのパースネルも可能な限り特定されたより正確なクレジットとともに供給されています。
このへんの経緯についてはゼヒ BlueSlimもご覧になってください。
The Sun Is Shining : Vo.-Johnny Young, Guit.-M. Broomfield
Can't Hold Out Much Longer : Vcl & Harp-Big John Wrencher
Juke Medley : Vcl. & Harp-Carey Bell, Guit.-Little Arthur
That's All Right: accomp.-unknown
Maxwell Street Jam : Vcl. & Harp-Carey Bell, Guit.-Little Arthur
Lucille : Vcl & Harp-Big John Wrencher
Cheating And Lying Blues: with Guit.-John Lee Granderson, Dr-Jimmy Collins
Honky Tonk: accomp.-unknown
Dust My Broom: with Guit.-John Lee Granderson, Dr-Jimmy Collins
Peter Gun Jam: with Guit.-John Lee Granderson, Dr-Jimmy Collins
I Need Love So Bad: with Guit.-John Lee Granderson, Dr-Jimmy Collins
All I Want For My Breakfast : Vo.-Johnny Young, Guit.-M. Broomfield
Take It Easy, Baby: with Guit.-John Lee Granderson, Dr-Jimmy Collins
Mama, Talk To Your Daughter: with vcl. & Harp-Big Mojo Elem, other unknown
I'm Ready : Vcl. & Harp-Carey Bell
Carey'n On : Vcl. & Harp-Carey Bell, Guit.-Little Arthur
Back Off Jam: with Guit.-John Lee Granderson, Dr-Jimmy Collins
Anna Lee - Sweet Black Angel: with Guit.-John Lee Granderson, Dr-Jimmy Collins
Love You Tonight : Vcl & Harp-Big John Wrencher
The Time Have Come: with Guit.-John Lee Granderson, Dr-Jimmy Collins
Cruisin' In A Cadillac ( inst.): Harp-Carey Bell, other unknown
Honey Hush: with Guit.-John Lee Granderson, Dr-Jimmy Collins
全トラックに Nighthawkはギターで参加。斜体になっていない曲は全て Nighthawkのヴォーカル(インストの Cruisin' In A Cadillacを除く)。
Big John Wrencherと Carey Bellのセットでは他に Little Arthur Duncanがギターで加わり、Robert Nighthawkのセットではドラムが Jimmy Collins( accomp. unknownとしてあるものを除く)、サイド・ギターに John Lee Grandersonが参加しています(ただし Larry & Vivian Heylによれば、ドラムが Robert Whitehead、ハープとベースを Carey Bellと!─これはどうやら「例の」Rounder盤の影響らしく、おおかたの研究者によっても、また Carey Bellの証言でも否定されているようです)。
また、その Maxwell Streetでのライヴと並行して彼は精力的に Chicagoのブルース・クラブに出演もしていたようで、どの店でも彼が出演するとなると「満員御礼」状態になっていたとか。
続いて 10月14日には TESTAMENTでの録音
Blues Before Sunrise: TCD 5008
Black Angel Blues: TCD 5010
Maggie Campbell: TCD 5010
Crowing Rooster Blues: TCD 5010
I'm Getting Tired: TCD 5010
Bricks In My Pillow: TCD 5010
Bricks In My Pillow( Alternate take): TCD 5021
Crying Won't Help You: TCD 5010
Crying Won't Help You( Alternate take): TCD 5010
Meet Me In the Bottom: TCD 5010
ここでも末尾のシリアルはそれぞれ収録された
TCD 5008 Modern Chicago Blues
TCD 5010 Master of Modern Blues: Robert Nighthawk/Houston Stackhouse
TCD 5021 Bottleneck Blues
を表します。
この同じ 1964年に Nighthawkは Deccaのために(日付不明)
Merry Christmas
Lula Mae
の 2曲をレコーディングしています。このときのメンバーは Walter Hortonのハープにピアノが Henry Gray(ちょっとアヤしい baddogblues.comはこれを Willie Mabonとし、さらにギターに Johnny Youngも加わっていた、としています)、ベースに Willie Dixon(同 Andrew Stephens)、ドラム Clifton Jamesでした。
この 2曲は Decca LP 4748 Blues-Southside Chicagoに収録されました( baddogblues.conでは Flyrightの FLY 521の名を挙げてますが、江戸川スリムさまによると、それは Deccaの再発のようでございます)。
ただし、このころから彼の健康には影がさし始めていたらしく、結局 Chicagoを引き払い、Arkansas州 Helenaへと戻って行きます。
ヨーロッパでの American Folk Blues Festivalから帰ってきた Sonny Boy Williamson IIが心臓疾患で 1965年 5月25日に、これもやはり Helenaで死亡したために、その後釜として King Biscuit Showを受け継いだのですが、この後継者もまたそれほど長くはその座にはいられなかったのです。
1967年には Houston Stackhouseのバンドで「最後の」録音をしたようなのですが、そこでは悪化した健康が「阻んでいた」と言われています(と言うのも、その録音は聴いたことがないため、なんとも言いようが無いもので・・・)。
Robert McCollumは、1967年11月5日、Helenaの病院で心疾患(鬱血性の心不全であった、とも言われています)のために死亡し、1983年には「殿堂入り」を果たし、2000年10月 6日には Helenaの Magnolia墓地に記念碑も置かれたのですが、その墓地内で実際に埋葬された場所がどこなのかは、いまだに不明のままです。
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